ニチニチコレコウジツ

自分で歩いてきたこの迷路

決断

実家に今います。

とても幸せです。

 

なぜ福井大学行かなかったんだろうな

なぜ受けなかったんだ。

 

そこからずーっと

引っ張られてる

 

 

まぁ、しょうがない。

 

今日の決断。

 

とりあえず、

部活を秋の大会まで続ける。

 

実は。

実は。

 

だーーーれにも言ってないんですけど

 

ほんのすこーし、

辞めたくなってました。

 

キャンプに行って、

教育の凄さを知って、

学校の授業で

新しい考えを知って、

バイトで

作り笑顔を身につけて

 

部活で?

 

ってなっちゃって。

 

いやほんとごめんなさい。

 

なんか、

部活で身についているモノが無い気がして。

 

それは、

勝ってないし、

わたしの努力不足だろうけど、

どうしても、

バドミントンに

ソフトは勝てない。

 

みんなでするスポーツに

わたしみたいなやつがいたら

勝てなくなってしまう

 

し、

 

わたしも辛い。

 

なんでソフトやってんだ?って

なっちゃって、

その状態で

ソフトやっても。

 

ネ。

 

だから決断した。

 

秋の大会までは続ける。

 

秋の大会までは。

 

そこからは

秋の大会後の気持ち次第。

 

や、他のやりたいこととか、

具体的に見つけたわけじゃ無いけど

 

ボランティアとか

もうちょっとガンガン参加したい。

 

のに。

 

 

グダグダ決断。

変わりたいなあじぶん。

 

 

迷って5日。

社会

病院にこの前

行ったんだけど、

ちょっと考えさせられる事がありました。

 

ってか、このブログでは

考えさせられる事しか書いてない気がする

 

まあいいか、

 

私、小さい時にろう学校に行ってたんですけど、(ちなみに、

幼稚部→ろう学校、小中高→普通ですです。学級も普通。)

その時の友達がいまして。

ま、

後輩なんですけどね。一個下。

 

その後輩と病院でたまたま会って

喋ってたら

もう働いてるらしく。

 

びっくりー

 

ろう学校の後輩だから

その子も聞こえないんだよねぇ。

機械はつけてて、

まぁまぁ聞き取れるけど。

 

だから、障害者雇用らしい。

 

前書いた気がする(書いてなかったかなわからん)

静岡県の教員採用試験の障害者雇用

枠が違うだけでやる事は同じ。

 

ま、私は静岡で教員になるつもりは

ゼロだけど、

 

どこの仕事をどこで選ぶことになっても

私の選択肢の中に

障害者雇用は入ってる。

というか、入ってくる。

 

うーん、うーん。

 

私は、小中高と、普通学校で過ごしてきた。

でも社会は私を障害者とみなす。

だから.福祉系の経済的助けも実はある。

(全て親まかせだけどね)

 

この前地元の友達とご飯を食べた時に

障害の話になって。

 

2人とも授業で、

障害についての考え方を習ってて、

 

その考え方が、

障害って、その人が持って生まれた

病気や疾患ではなく、

 

その人に対する社会が生む弊害のことを

障害と、呼ぶらしい。

 

障害者雇用

障害者に対する年金制度。

 

全部この考え方に当てはまらないよね。

社会が生んだ障害なのに、

障害者、としてみられるの?

障害者、として、経済的援助をされるの?

 

んー。

私は自分のことを

障害者だとか、健常者だとか、

そんな風にカテゴライズした事は

あんまりない。

けど、

 

教員採用の障害者雇用枠があるように

企業の障害者雇用枠があるように

年金制度で障害者は健常者と

区別されるように

この社会は

障害者と健常者を分けている。

 

障害は社会が生む。

 

そんな考えがあるのなら

どうしてわけるのか。

そんな考えがあるなら

どうして

社会の障害はなくならないのだろう

 

どうして私は

障害者雇用を視野に入れないといけないんだろう?

 

健常者の人の世界に

私は完全に溶け込む事はできない

かと言って、

ろう者の世界に私はいれない。

 

どこへ行けばいいんだろうね、

中途半端に生きた私は。

 

社会が生んだ障害は

 私に多くの出会いと

考え方と

視野と

辛さと喜びをくれた

 

これからもきっとある、

 

私はどう生きればいいんだろうなあ

障害者枠、リアルすぎて。

 

キャンプでも、

障害者の生き方って難しいなあって

思ったんだった。

 

私みたいに大体の人生を

健常者と一緒に過ごす人もいれば

 

特別支援学校に行って

同じ障害を持った人と

一緒に過ごしたい人もいる。

 

私の場合、親が、多分必死に悩んで悩んで

普通学級に入れられたんだろうけど、

(自分で決めた記憶は無い)

 

それで良かったのかな。

もし私が選べるとしたら

どうしたんだろう。、

 

今までは、

親が選んでた。

 

今度は私が選ぶ番か、

 

うーん。

 

お金が関わってくると

別なんだよな、

 

はぁ、色々考えなきゃ…

 

 

真面目な話になってしまった、

 

 

 

 

 

 

教育

二泊3日のキャンプやりました。

結論、疲れました。

 

でも、最後にまぁまぁウザかった保護者が

言った言葉。

「みなさん疲れてますね、

でも、私たち保護者はこれが365日です。

我が子はもちろん可愛いです。

可愛いけど、こういったキャンプで、

子供と少しでも離れる時間ができます。

すると、余裕ができます。

その余裕で、もう一度頑張ろう、

我が子と向き合おう、

そう思えます。

みなさんにとっても、

いい経験に

なったとおもいます。

これから、このキャンプで

学んだことを生かしてください。」

 

最後はいいこと言うやんって思ったんよなー、

ほんっっっとに疲れたけど、

保護者は365日これをしてる。

子育てって、大変だよな…

子供の障害にもよるけど、

走り回るし、

何回も言わないと聞いてくれないし、

勝手にどこかへ行くし。

 

想像するよりどんなに大変で、

どんなに過酷なんだろう…

保護者の疲れた顔、

子供の笑顔、

どこまでも限界がない日々。

 

その過酷さを感じ、

体験することしか私には

まだできないし、

まだほんの少しの過酷さしか

多分経験してない。

 

 

色々事件と反省と、喜びはあるけど、

全部は書けないから

その中の一つについて書こう。

 

去年も来てくれた子が、

話せるようになってたんだ。

 

去年はずっと、

自分の中の妄想で生きていて

自分の中の世界で生きていた子だった

だからあんまり

会話もできなかった。

 

でも今年。

会話ができるようになってた。

簡単なことだけど、

「もう寝るよ〜」って言ったら

「寝ない!」って

私、その言葉を聞いた時、

泣きそうになった。

 

この子が今まで受けてきた教育。

この子の中にある世界から

まわりの世界を見れるようになったこと。

話す、聞くっていうことを

ちゃんとできるように

今までこの子に関わった人たち。

 

想像しただけで

泣いてしまう。

正直、このブログも泣きながら書いてる。

 

まだまだその子は

活動に参加したりすることは

難しかったけど、

去年よりちゃんと成長してる

その子が、私はとても嬉しかった。

そして、

自閉症だと分かったその子を

きちんと見て、受け入れて

笑って育てたお父さんとお母さん、

その子に今まできちんと

関わってきた教育者たち、

 

ほんっっっとにすごいなあと

私もいつか、

そんな風に

成長できるように、子供を見れるかな

子供が成長するために

何かができるかな。

 

色々至らないところはあったし、

悔しいし、

反省は数知れないけど、

教育の素晴らしさを

知ったなら、知れたなら

私がこのキャンプに参加した

意味は、ちゃんとあった。

 

もう行かない。と思ってたけど

来年もきっと行くだろうなぁ

部活を犠牲にしても

テスト後でも

帰省できなくても

きっと私は行く。

 

そんで、また疲れるんだろうな笑

でもいいや、

それ以上のことを学べるから。

 

 

敦賀に向かうしらさぎ

こんなブログ書くのは間違いだったなぁ

泣いてしまう。

でもよかった

敦賀が田舎で、

隣には触ってないから

人知れず泣ける笑

 

最後に、

クソ可愛いこの子を見てください。

顔は出してないからオッケーなはず。

この子はこの子で走り回るプロなんだけどね笑f:id:htl_mashiro:20190812202216j:image

 

 

 

 

 

 

忙しい

なんでこんな忙しいんだ。

あ、忙しいアピールしたいわけじゃ

ないんです、ごめんねぃ

 

わたしの今日のスケジュール

見てくれ。

 

8:00 洗濯物、皿洗い

9:00 明日からのキャンプの用意と帰省の用意

11:00 レポート出しに大学へ

12:00 思ったよりも手間取ってチャリをおいて駅に行く

12:30 新幹線切符とる

1:00 明日からのキャンプボランティアの準備

16:30 バイトへ向かう

22:30(予定) バイト終わり 

 

明日は朝9:00くらいから出発…

 

ドライヤー使えないという

酷な環境だが、、、

がんばらねば。

子供達の笑顔のためにぃ!(なんて言ってみる)

 

もともとインドア派だから

この暑さの中

外へ駆り出す用事があること自体

もう辛い。

はぁ、まぁ、レポートは全部

なんとか終わった。

 

夏休みの開始じゃ!

がんばろ…明日からのキャンプ…

しんどそうだなぁとしか

思えないが、が。が。

飲み込むぞ。

 

 

欠点

ご存知の通り

わたしは生き方が雑。

 

うん、雑。

 

ほんっとうに雑。というか、大雑把。

 

この雑さのせいでみんなに迷惑をかける。

 

はぁ、自己嫌悪。

 

きちんとした人間になりたい。

 

まずはレポートからかな。

 

あと2つ。

1つは意味のわからない世界史と言う名の中国。

 

こちらは読み取り不能💁‍♀️

また雑なレポート書きそう。

やだやだ。ちゃんとするもん。

 

もう1つは、社会教育法2

これまた、雑な授業((ごめんなさいTや君。

について、の講評。

どうやってしましょうかね…

丁寧に、講評していきたい。

 

夏休みの目標は、

丁寧に生きることにしよう。

雑さは捨てる。捨てるぞ。

 

 

さて、今回のテスト。

んー、まぁまぁ。

日本語の意味が分からなかったよね。

 

考えることを考えるとは。

 

たぶん単位はゲット。

 

これでいいと思っている雑さがもうやだ。

 

わたしの欠点はザツいところ。

 

治そう。丁寧に生きるぞ!

明日は髪を染めるんじゃ〜わくわくー

この世界の片隅に

f:id:htl_mashiro:20190805220759j:image

この世界の片隅に が、

GYAO! で無料でやってて

みてしまったわたしです。

 

まぁ、明日社会だし。

関係あるし??

という態度でとりながらみてました、

 

なめてました。すみません。

 

この世界の片隅に

わたしを見つけてくれてありがとう」

 

 

この映画は

戦争の話じゃなくて、

普通に何気なく生きていたら

戦争が起こっていた人たちの話だって

ツイッターで見た。

確かにそうだった。

 

たんぽぽが呉と、広島では色が違うこと

もんぺの作り方を教えてもらったこと

すいかを食べたこと

 

これが普通だったのに

 

今回は爆撃を逃れたこと

防空壕の中にいること

生きれたこと

 

が普通になっていく時代。

 

 

つい最近集中講義で歴史を徹底的にやって

ほぼ99%忘れたけど

歴史って 普通 が移り変わっていく感じだなぁってまた、歴史への感じ方が変わったことだけ覚えてる。

 

名前に苗字をつけるようになったこと

分割制度をやめたこと

東南アジアの輸出・輸入品を増やしたこと

 

どれもその時代には理由があって

普通だったんだろうなぁ

 

わたしが今だらだらしていること

ここにいること

今日焼肉を食べたこと

 

どれも平和な普通。

 

その時代によって、普通は違うけど

その普通を私たちは簡単に変えられる

 

変わる普通の中で

こんなに、平和な普通を生きられている

私は本当に幸せものだ。

 

「戦後74年」と表記される今

私は平和な普通を生きている。

 

8月6日 広島に原爆が落ちた。

8月9日 長崎に原爆が落ちた。

 

8月、原爆が落ちた月だ。

 

原爆だけじゃない。

戦争で多くの普通が奪われた。

 

74年前のこの世界の片隅は、

生き残った人も死んだ人も

悔しくて、悲しくて苦しくて

想像もできない煙と血と炎と餓死の

世界だったんだろうな。

 

74年後のこの世界の片隅で、

私は今明日の社会科教育法の

勉強もせずだらだらしてしまっている。

だめだ。

やろう。

 

今が平和な普通なことに感謝しなきゃ。

 

はぁ、この世界の片隅に

 

 

 

この世界の片隅に、おススメ★★★★★