ニチニチコレコウジツ

自分で歩いてきたこの迷路

フォルトゥナの瞳

塾バイト終わり、

 

お昼を食べ過ぎた

(冷麺、ご飯、餃子、唐揚げ、ケーキ)

文にすると恐ろしいな

 

夜ご飯を食べる気分になれず

 

牛乳とみかんだけ食べて、

ごろごろしてたら

寝てしまった

 

おそらく8時に寝たのだと思う

ナイトミュージアムみたかったなぁ

 

2時に起きて、

全然眠くないので

フォルトゥナの瞳を読む

 

以下ネタバレ注意

 

百田尚樹って

ひゃくた、なおき、

なんだなあ、

ずっと、ももたなおきだと思ってた

 

 

バタフライ効果やらカオス理論。

 

運命、必然。

 

もしも人の命が見えたなら

私はどうするんだろう

 

それと引き換えに

自分の寿命が奪われたなら。

 

人を救うために死ぬか

愛する人のために生きるか

 

この二択に人は迫られたとき

どうするんだろう

 

百田さんは、

「傍観者になるな」

と言いたいんじゃなかろうか。

 

だから黒川は死んだ。

運命では死ななかったのに。

 

百田さんの本は少ししかまだ読んでないけれど

自己犠牲が多い。

永遠の0 だってそう。

特攻隊を描いたもの、

神風に乗って主人公の祖父は

生きたいと願いながらも死んでいった

 

傍観者にならないこと=自己犠牲

 

百田さんの、結論はこうなのか

 

 

 

でもエピローグで

自己犠牲した慎一郎を愛してた

葵がフォルトゥナの瞳を持っていて

慎一郎が亡くなった後の

悲痛な姿が描かれている。

 

自己犠牲の先は

周りの人間の悲しみ。

 

自己犠牲は決して

崇高なものじゃない

 

 

運命を目の前にしたとき

私は傍観者にならないように

自己犠牲を選ぶのか

 

人の命が目の前で失われていく

瞬間をわたしは目にしたことはないけれど

どんなに辛くて酷いものなんだろう

 

人は死から逃れても

バグダッドの死神には、

サマラで会うことになるし

 

人は死を受け入れても

周りの人間は悲しんでくれる。

 

単純明快じゃない

複雑で絡み合ってる運命

わたしは

自分を犠牲にして人を救えるのかな

 

 

そんなことを考えて

このブログを更新しようとしてたら寝落ち。

起きたら10:00

 

集中講義は10:20から

 

ほんっっっとうにやばい

 

急いで出て間に合った。

 

本の虫はいいけれど、

睡眠に勝てないわたしも

理解して読まなきゃな

 

くすん。明日は起きよう